はうぅ。。。シヤワセだぁ。。。ホゥ♪
すっかり異次元空間におります。恐縮です。
迷子につぐ迷子でどーなることかと思ったが、一応の決着を見た。
パチパチパチ〜★
江戸時代の地図は年代も多々あれど(なにしろ200年以上ありますからねえ…)
2006年に大分で発見された現存最古(しかも美彩色!)の原図を復刻した
コチラ検索かけたら京橋図書館にあった(笑)。
ので、本日早速、昼飯抜きを覚悟でアタックだ☆☆☆
だって夕方5時までしか閲覧出来ないんだもん。。。けちんぼ―
でっかいのでコピーは不可だった(T_T)。けちんぼ―
あああ、設計事務所にあるようなでっかいコピー機があれば…あれば…(涙)。
目指すは、柳生但馬守宗矩さんのご自宅です。
結構有名な小説でも
屋敷は「麻布」で道場は「木挽町」なんつーよく分かんない記述やら、
内容的にはかなり信用のおけるサイトでも「道三堀」という日本橋辺りの
地名が書いてあったりと、これがまちまちで
寛永年間ばっちり宗矩さんの時代の屋敷の場所、及び出典が特定出来ない状況にありました。。。
江戸時代は度々大火事もあったので、その度に区画が変わったり、
埋め立てしたり、人口河川引いたり、そりゃねえ皆さんお引っ越しもするから、
結構目まぐるしく変わるんですな。
柳生さんちに伝わる『玉栄拾遺』という史料によりますと、
麻布にあるのは「下屋敷」(幕末の地図では目黒に下屋敷、愛宕に上屋敷があることから考え、これはまず間違いない・笑)。
木挽町というのは、桃尻クンの弟宗冬の孫で俊方さんの時代にお引越しした場所というのは分かった。
加えて、その史料によりますと、桃尻弟宗冬が死ぬ年に、息子の宗春さんが「虎ノ門の屋敷で門弟を教授」との記述があるので、最有力候補は
下屋敷は「麻布」
道場及び上屋敷は「虎ノ門」 であります(笑)。しかしながら、宗矩パパ&嫡男十兵衛の死後、お引越しした可能性も0ではないので、これはしっかり確認せねばねば。。。
てな訳で、
恋い焦がれた、世にも美しい『寛永江戸全図』を目の前にした途端。。。
スイマセン。
10秒でビンゴ(爆)。なんか、簡単すぎて拍子ぬけ〜……。。。
ウヒョウヒョ言ってるアタシの後ろでは
資料室のおじさんがコピー出来る形態の寛永年間の地図を探してくれてました。
ありがとうおじさんッ!!
上屋敷は虎ノ門、現在の霞が関・日本郵政の辺りでしょうか。
いやはや、感無量ですな〜。
麻布の下屋敷がすごい広さでこれまたビクーリ!
道三堀と木挽町に柳生の文字がないのを確認した後は(いちおーね・笑)
時間の許す限り、うろうろと江戸寛永散歩でございます。
九段下にあるOさんち(笑)も確認したし、
(今度武道館にライヴ見に行く時は要チェックだお!!)
ああ、なんて有意義な昼休み。。。
そうそう、
資料室のおじさんが探してくれた地図にも
虎ノ門の柳生さんちと、九段のOさんちがしっかりありました。
かなり簡略な地図なんだけどまあ贅沢は言えんな。。。
しかし、欲しいな…
『寛永江戸全図』…
べらぼうにキレイなんだもん。。。
ううむ……
いちまい9000円のポスターか……(苦笑)
来年まで考えようっと。。。
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